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ちょっといい日
ちょっといい日_a0046686_23215970.jpg半袖でもOKなくらいのいい天気の日。
ちょっと気晴らしに文庫でも買おうかとBook offに寄ってフラフラ見ていたら、Amazonでカートに入れたまま買っていなかった本を偶然発見。そのほかにも気になった本をとりとめもなく4冊購入。
4冊も欲しい本が見つかるなんて奇跡です。
いつも一冊も見つからなくて帰ることが多いのに。
本は出会いだと思っているので、いい本に出会えると特別にうれしい。
今日はいいぞ。

ちょっといい日_a0046686_23225977.jpgあと、B'zのレアなCDも500円だったので購入w


ちょっといい日_a0046686_23415246.jpgその後おいしそうな珈琲の店にフラっと入ったら、
そこのナポリタンも珈琲も超おいしくてラッキー。
調子に乗っていつもは食べないデザート(ティラミス)まで食べた。
珈琲飲みながらさっき買った本を読む。「ダメな自分を救う本」。
このタイトルね…買うとき恥ずかしかったけど、
これは出会うべくして出会った本だなと思った。
いまの私に必要な答えが全部書いてあった。一気に全部読み。
たくさん刺さる言葉があった。ヤバい。

その後、なんとなく髪でも切ろうかと思ってあてずっぽうで美容室へ。
ここがまたよかった。いつもは美容師さんに気を使ってしまうので
なるべく話をしたくないんだけど、今回の人はなんだかとっても気が合って
ずっとしゃべってた。こんなことまず無い。奇跡だ。
(いつも「お仕事なにやってるんですか〜?」「…ウェブデザインです」
「えー!すごいっすねー!ホームページとか作ってるんですか?」
「えぇ、まぁ…」「すごいじゃないすか!じゃあmixiとかもやってるんですか?」
「まぁ…やってますけど」「ブログとかも?」「えぇ…」「自分で
ホームページとか作っちゃうんですか?」「まぁ、それが仕事なんで…
(全部は作ってないけど)」「すごいっすねー!」とかいう会話が続く。
うんざりだよね。)
で、おすすめされるまま明るめのカラーで前髪作ってみたら、
自分ではありえないだろうと想像してたのに割としっくりきてて
春っぽいワンピースなんか似合っちゃいそうな私らしくないかわいい髪型になった。
(いつも維持できないんだが)
しかもここのマッサージとか指圧シャンプーとかが気持ち良くてロヘロです。
私はもっと、世の中に気持ちいいことがあるってことを、
知らないといけないな、と思った。

ちょっといい日_a0046686_23411992.jpgで、美容室で読んでた雑誌においしそうなパスタが載ってたので作ってみた。
レシピが覚えられなかったので超適当、
たらこといんげんのクリームパスタ。
たらことマヨネーズと牛乳(ほんとは生クリームって書いてあったけど
めんどいから牛乳)とだしを混ぜて、いんげんと炒めるだけ。
(レシピではアスパラだったんだけど激高だったのでいんげんにした。)
ちょっとこれは…絶品ですよ。これは人にふるまえると思った。
例によって作りすぎたので残った分は明日のお弁当。

あとはkickにもらったハワイ土産のスパの入浴剤でお風呂に入れば完璧です。
3度のメシより風呂が好きだ…。昨日なんか2回も入っちゃった。

今日は感じるままに行動した、ちょっといい日。



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ダメな自分を救う本
以下、刺さった部分を引用してみた。

「ないもの」に心を注ぐな
たいていの人は、今の自分をないがしろにして、「ないもの」ばかりにエネルギーを注いでいます。
「ないもの」とは何でしょう?
「上司にもう少し理解があれば、私も力を発揮できるのに…」
「もっと容姿がよかったらモテるのに…」
「親の育て方が悪かったから、私は自分に自信が持てないんだ…」
「誰かが私の才能に気づいてくれれば…」
こういうのはすべて「ないもの」に心を注いでいることになる。
ないものはないんです。
「ないもの」にどんなにエネルギーを注いでも、何も生まれない。ゼロに何を掛けてもゼロです。
大切なことを言います。
潜在意識は、「ないもの」を理解できないのです。
潜在意識は、たとえば、否定形の文章が理解できません。否定形というのは、あくまでも論理、つまり意識の領域の考え方だからです。
「ピンクの象をイメージしないでください」とボクが言ったらどうでしょう?
イメージするなと言ったのに、キミの頭には真っ先にピンクの象が浮かんでしまうでしょう?
潜在意識は、「〜がない」という言い方…文字通り「ないもの」を理解できない。これはとても重要なことです。
幼い子どもというのは、潜在意識のかたまりのようなものです。ですから、子どもに指示するときには、否定形を使ったら逆効果です。「○○ちゃん、走っちゃダメよ」と言うと、「〜してはダメ」という否定形が理解できないから、「走る」ということだけが強く印象に響き、さらにひたすら走りたくなってしまうのです。だから、「走っちゃダメ」ではなくて、「ゆっくり歩こうね」と言えばいい。
キミは、何か辛いことがあって泣きそうなとき、「こんなところで泣いてはいけない」と自分に言い聞かせたことがありますか?そう思えば思うほど涙がこみ上げてきてしまうでしょう?これも「〜してはいけない」という否定形が潜在意識では機能せず、「こんなところで泣く」という考えに歯止めが利かなくなってしまうからです。
どんなに立派でまっとうに聞こえることでも、それが「ないもの」であったら、そこからは何も生まれません。
それでは、「あるもの」って何でしょう?
それは、「今、この瞬間」にキミが起こす行動です。それだけが、確かに「あるもの」だと言えるのです。

今、この瞬間に何ができるか?
過去はもう終わったことだから、どうしようもない。未来はまだ来ていないから、これもどうしようもない。どうしようもあるのは、「今、この瞬間」だけ。今、この瞬間にキミが何をするか。それがすべてなのです。
今までの人生において、ことごとく恋愛の挫折を重ねてきたとしても、チャレンジした仕事にすべて失敗してきたとしても、辛抱が続かず自信の持てるものを何ひとつ身につけることができなかったとしても、愛情に恵まれないめちゃくちゃな家庭で育てられたのだとしても…そんなことは潜在意識にとってはどうでもいいことなのです。
潜在意識にとっては、今、この瞬間だけが真実なのです。
今、この瞬間にキミが何をするか?重要なのはそれだけです。
悩んだとき、恐怖に襲われたとき、迷ったとき。苦しいとき。自信をなくしたとき。不安でたまらないとき。どんなときにも、「今、この瞬間に自分に何ができるか?」だけを考え、どんなに小さなことでもいいからそれを行動に移すこと。
そうすれば、必ず潜在意識がキミを救い出してくれます。潜在意識は喜んでそうするでしょう。だって、キミを護り、成長させ、幸せにするのが潜在意識の使命なのだから。

心はどこにある?
「心って、どこにありますか?」
そう質問すると、たいていの人は、胸のあたりに拳くらいの大きさの形を示しながら、「このあたりでしょうか?」と言います。理屈っぽい人であれば、「いや、心は脳の中にある」と言うかもしれません。あるいは、「身体すべてが心なのだ」などとちょっと気の利いたことを言う人もいるでしょう。
しかし、いずれの場合も、心は身体より小さい。身体の中に心があると思っている人がほとんどなのです。
しかし、それは間違いです。
身体の中に心があるのではない。心の中に身体があるのです。
心は身体よりもずっと大きい、心は皮膚を超えて、キミの身体を包み込むように拡がっている。
意外ですか?
心は拳くらいの大きさしかないと思い込んでしまっているから、ストレスを感じたり、ちょっとした人間関係のトラブルに圧倒されてしまう。つぶされてしまう。
誰かを愛したり、思いやったりできるのは、キミの心がキミという個人よりもずっと大きいからです。
ところが、そのことを知らないばかりに、本来は大きな心を小さく使ってしまっている人がほとんどです。

人生の悩みにつぶされないために
たとえば、コップの水に一滴の赤インクを垂らせば、すぐに水は真っ赤に染まってしまいます。でも、大海に一滴のインクをこぼしたところで、海は赤くなりはしません。いつもの蒼い海のままです。
人生に起こるあらゆる悩みも一滴のインクのごとしです。
ある困難に遭遇する。キミは真っ赤に染まってしまうのか。それとも平然といつもの蒼のままでいられるのか。それは、キミがその困難よりデカいか小さいかにかかっているのです。
困難に立ち向かう…という言い方をよくします。しかし、立ち向かおうと思った時点で、「自分の心は今の状況よりも小さくて、対処しきれないかもしれない」という可能性を認めたことになる。キミにそのつもりがなくても、潜在意識はそういう暗示として受け止めてしまいます。
立ち向かうのではなく、包み込む。呑み込むのです。それが困難に対処するもっとも正しい姿勢です。
悩みをどうこうしようとするよりも、まずはその悩みを受け止める心を大きく拡げること。そうすれば、相対的に悩みは小さくなり、気にならないくらいになり、やがて消えてしまいます。


誰も見ていなくても、潜在意識は見ているんだって。
だから、人が見ていないところでズルしたり不親切にしたり怠けたりしたら、潜在意識は「それじゃあ、そういう自分にふさわしいものをもたらせばいいんだな」と思って、それを実現させる嫌な出来事に自分を促そうとするんだって。自分自身の行動が、潜在意識への暗示になっているんだって。
今までの自分の行動を振り返って、深く反省しました。

むかし、学校の課題をやっててアトリエで深夜ひとり残って作業してたとき、ふと「あーあたし何やってるんだろ?」って空しくなる瞬間があった。普通の高校生ならデートしてバイトして遊んで、青春を謳歌して。でも、「いや、でも自分はがんばってることを知ってる。自分は見てる」って思って納得させたことがあったな。
なんだ、知ってたんだ、私、って思った。私、16歳のときからずっと絵とデザインに向き合ってきた自分を知ってる。見るものすべてを吸収しようとがむしゃらだった自分を知ってる。今、この瞬間も向き合ってる。そうやって向き合ってきたものを、簡単に諦めるわけにはいかないですよ。自分に失礼だから。
by chihosh | 2008-05-06 23:54 | Daily life


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